876日目
先週くらいから失敗失敗と何度か記しているが、知らぬゆえ、または聞いたことはあるが必要だと感じる機会が乏しく意識しないようにしていたことばかりである。そうは言えど、意識して頭によく残っていることや、経験を積んだことならば、そうやすやすと失敗はしない。
起こるべくして失敗をしている。失敗しなかったら、それはたまたまうまくいったか、自ずと身についてきたか、だ。
さて、今日のことだが、少し前から自分の作業にかかる時間を意識してみよと言われていたのだが、それは個人の作業がどうのではなく、私がどのくらいで作業ができるか把握できるようになり、まわりとキャパシティを共有すると効率が上がるため、ということを教えられた。
少し前では、やれ、そんなこと皆目見当がつかんぞと、まだ先のことだ。と考えていたが、すっと胃の腑に落ちる思いでこれは早くつかめるようになりたいと思うた。
また、自分がモノをつくる際にそのヒントにしたものが作業したフォルダやその近くにちょいちょい落ちているものだから、提出するものに余計なものはないよね?と問われ、ハイ。と答えつつ自信がなかった。
まだファイルに余計なものはないかもしれんが、ソースには流用してきて消していいかわからんのが結構有った。でも、そこはまあ動けばいいかなって。
使いやすいように、そして作業が増えてきても見やすいように整理しなくてはならない。
・今日のアレ
「プラトン」
古代ギリシアの哲学者である。ソクラテスの弟子にして、アリストテレスの師に当たる。
一般に、プラトンの哲学はイデア論を中心に展開されると言われる。 最初期の対話篇を執筆していた30代のプラトンは、「無知の知」「アポリア(行き詰まり)」を経ながら、問答を駆使し、正義・徳・善の「単一の相」を目指して悪戦苦闘を続けるソクラテスの姿を描き、「徳は知識である」といった主知主義的な姿勢を提示するに留まっていたが、40歳頃の第一回シケリア旅行において、ピュタゴラス派と交流を持ったことにより、初期末の『メノン』の頃から、「思いなし」(思惑、臆見、doxa ドクサ)と「知識」(episteme エピステーメー)の区別、数学・幾何学や「魂」との結びつきを明確に打ち出していくようになり、その延長線上で、感覚を超えた真実在としての「イデア」の概念が、中期対話篇から提示されていくようになった。
哲学以外に、数学、幾何学、天文学、自然学、神学と色々残しているようだ。
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