453日目
昨日に引き続き哲学ライフ。
図書館で見た思想家の名前をぐぐってみたらニコニコ動画にも面白いものがあった。哲学サッカーだ。登場選手は国ごとの過去の偉大な思想家。キックオフと同時にそれぞれが思想にふけったり、自分の論を説くというものだった。何言ってるか文からではよくわからないので見ていただけるといいだろう。
また、ハーバード何とかの特別講座の日本語訳が面白かった。
・今日のアレ
「哲学を学ぶことのリスク」
リスクには、個人的なリスクと政治的なリスクの両方がある。
哲学という学問は、私たちを私たちが既に知っていることに直面させて、私たちに教え、且つ動揺させる学問だからだ。それは慣れ親しんで疑いを感じたこともないほど良く知っていると思っていたことを、見知らぬことに変えてしまうこともある。
哲学は、私たちを慣れ親しんだものから引き離す。新しい情報をもたらすことによってではなく、新しいものの見方を喚起することによって引き離すのだ。しかし、ここにもリスクがある。慣れ親しんだものが見慣れないものに変わってしまえば、それは、二度と同じものには成り得ない。
『自己認識』とは、純真さを失うようなものだ。これが個人的なリスク。
政治的なリスクは何だろうか。本を読み、問題を議論することで、より良い責任感のある市民にな ることができるだろう。それによって君たちは公共政策の前提を検討するようになり、自分の政治的判断に磨きをかけ、公共の事柄により効率的に参加できるようになる。
しかし、政治哲学は君たちを良い市民にするよりも、悪い市民にする危険性を秘めている。少なくとも良い市民になる過程で一旦悪い市民になってしまう可能性がある。なぜかというと、哲学というものは、人を社会から距離を置かせ、衰弱させるような活動だからだ。
とのこと。
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